不登校まではいかない登校しぶり。今回は、お子さんが中学1年生のときに登校しぶりを体験したAさんからお話を伺いました。
登校をしぶり出したきっかけはなんでしたか?
登校をしぶり出したきっかけは、入学して半年くらい経ったころに、登下校を一緒にしていたお友達が不登校になったことでした。そのお友達の不登校のきっかけは、仲間はずれです。
お友達とはクラスが違ったため、どのような状況になっているのかはあまりわからなかったのですが、偶然、そのお友達のお母さんとすれ違い、少し話を聞くことができました。仲間はずれの内容は、例えば、クラスで誰かと組むといった場合に明らかに意図して避けられるようなことがあったようです。私の娘も少しお友達に聞いていたようで、「あれはおかしいと思う」と言っていました。
でも、その子のお母さんが学校に行って担任の先生に助けを求めたところ、事なかれ主義の先生は、「私にはそのようには見えません」と相手にしてくれなかったそうなんですね。
そのような状態だったので、お友達は学校に行けなくなってしまったのです。
私の娘とそのお友達は、小学校からの友達でしたが、同じ小学校からその中学に進学した人数がとても少なく、他に一緒に登校できるようなお友達が当時いなかったこともマイナス面となりました。
さらに、娘はとても人見知りで引っ込み思案でしたし…。
そうして、「ママ、学校ヤダ」や「なんか今日、お腹痛い」と言うようになったのです。
登校をしぶり出したとき、どうしましたか?
まずは率直に「どうしたの?何かあった?」と聞きました。すると、さっきの話をし始めたのです。
この時はまだお友達のお母さんとはすれ違ってなくて、具体的なことは知らなかったのですが、どうやら仲間外れにされてるらしいと聞いてびっくりしました。そのお友達は素朴ないい子だったので。
でも、子ども曰く、当時マンガなどの題材にもなった「カースト制度」のある学校で、私も授業参観で訪れたときは独特な雰囲気を学校内に感じていたんですね。なので、納得もしました。
ただ、私も中学生くらいのころは、お友達といろいろあって、一人で登校していたこともありましたし、娘も登校できないかな…とも思いました。
でも、「登校するときに一人だとイヤなことある?」と聞いたら、「一人で歩いてると、ヒソヒソと”あの子、一人なんだ”って言われたりするし、学校に着いたときに教室の入り口にクラスの女の子が立ってて、一人でくる子や目をつけている子が来ると、指を差して嫌な笑い方しながらヒソヒソ話したりするのが嫌なの」と言うのです。
それはたしかに私でもイヤだな…と思い、どうしようか悩みました。
「イヤだったら行かなくていいよ」って言ってあげたい気持ちもあるし、でもそうしてずっと外に出れなくなってしまったらどうしようとも思うし…。
どうしていいかわからず、もうちょっと子どもの気持ちを聞くことにしました。「○○(娘)はどうしたい?」と。
すると、娘は「登校はイヤだけど、学校に行ってしまえばクラスで新しくできた友達もいるから。帰りは一人じゃない時もあるし、朝ほど他の人もいないからなんとか平気かも…。でも、朝、一人で行くのはイヤなの」と言うのです。
クラス内で一緒にいられる友達がいるのはよかった…と思いつつ、それであれば、どうにか行けないかな…と考えました。ただ、学校と家が離れていたので、登校にかかる時間が40分くらいあったんですね。その間、イヤな思いを一人で毎日し続けなければいけないのは、本当にかわいそうだとも思って…。
登校しぶりをどのように解決しましたか?
結局、登校しぶりが解決というわけではないのですが、毎朝、母親の私が車で学校の近くまで送ることにしました。もちろん、自動車登校は禁止されていたので、こっそりと…ですが。
学校近くからだけなら、なんとか一人でもがんばれると言うので、学校近くの人気のないところまで、約半年間、送り続けました。下の子がまだ小学生で、そちらも学校への見送りが必要だったので、先に下の子を見送ってから、上の子を車で送り、帰宅してから仕事に行っていました。
かなりハードな朝の日々でしたが、少ししてから、不登校のお友達のお母さんから「どうにか学校と交渉して、来年は○○ちゃん(うちの娘)と同じクラスにしてもらうようにお願いしたから、来年からは大丈夫だと思います」と連絡をもらったので、約半年間がんばれました。
でも、それでも学校近くから一人で行くのもイヤなときもあり、そういうときは朝、娘が「ママ、なんかお腹痛い」と言っていたんですね。実際に精神的なストレスからお腹も痛かったようで、そういうときは無理せず学校を休ませていました。
なので、ちょっと1年生のときは欠席日数が多く、後々の受験時に少し影響がありました。公立高校が第一希望でしたので、併願の私立学校を1校受験したのですが、その際に「欠席日数が多いのはなぜですか?」と聞かれたのです。でも、出願に引っ掛かるほどではなかったので、そのときは「学校が遠く、まだ慣れていなかった一年生のときに体調を崩すことがあったので…」という言い方をして納得してもらった覚えがあります。
その後、不登校だったお友達もたまに学校に来るようになりました。といっても、登校時間はずらして、クラスも不登校児専用のクラスに通っていましたが。不登校児専用のクラスが用意されるほど、不登校の生徒がいたんですよね…当時。仲間はずれなどが原因で転校した子も2人ほどいるという噂も聞きました。
そうして2年生になったら、本当にお友達とは同じクラスになれて、お友達も登校することができるようになり、私の車での見送りもいらなくなったのでした。
当時を振り返って今どう思いますか?
子どもが高校受験をするときに、併願受験する私立高校から欠席日数のことを聞かれましたが、そのときに子どもと当時のことを思い返すことがありました。「あんなこともあったね」って。
「あのときは大変だったよねぇ…」と苦笑いしながら言い合っていたんですが、ふと「ママがああやって送ってくれなかったら、やっていけなかったよ。大変だったでしょ。ありがとね」って言ってくれたんですよね。
正直、あれが最善の解決策だったかどうかはわかりません。車で送るという校則違反をしていたわけですし、たまには休ませちゃってましたし。
あのとき、娘は「行きたくない」と「でも行かなきゃ」の狭間にいて、ちょっとだけ「行かなきゃ」が大きかったんだと思います。だから、送ったら行けたんだと思いますが、「行きたくない」が大きかったら、お友達と同じような感じだったのかなと思います。
子どももただ「行きたくない」って思ってるわけじゃなくて、「行かなきゃ」とも思ってて、本当に悩んでるんだな…と感じました。でも、そういう気持ちをうまく言えなかったり、言っていいのか悩んでいたりするんだろうな…と。
教育の専門家じゃないので、何が正しいのかはわかりませんが、あのとき、親が「ああしよう、こうしよう」と一方的に考えて決めることなく、子どもがどう感じているのか、どうしたいのかをゆっくり聞いたことはよかったんじゃないかなって思います。
我が家は行く方向でがんばりましたが、不登校になったお友達のご家庭も、「うちの子と同じクラスになれたら行ける」と交渉して、“どうやったら行けるのか”を子どもと一緒に考えて行動してがんばっていたと思います。転校したご家庭も、大きな決断ですし、きっと子どもの声を聞いて考えたんだろうな…と思いました。
親としての不安もありますが、子どもの声を聞いて、一緒に考えたことはよかったことなんじゃないかと思います。